今や身体全身の関節と言う関節が使い過ぎの為(オーバーユース)の為に完全にガタガタになっているヒゲ親父です。何とか気力を振り絞って前田先生の分までもう少しだけ長生きをしたいと願っています。そして、たった一人取り残されたヒゲ親父の最期の責任として

確かに前田先生との数々の鮮烈な想い出は枚挙にいとまが有りません。前田先生との付き合いは名城大学の「バーベル部」以来からの付き合いです。かれこれ約50年以上もの永きに渡る付き合いでした。彼はヒゲ親父とはちょうど「3歳年上の兄貴分」の存在でした。不思議なことに、血液型は2人共におなじ「A型}でした。しかし、性格や行動パターンは全く正反対の私達2人でした。前田先生は寡黙で熟慮型の温厚な性格の人柄でした。引き換え、ヒゲ親父の私は人の悪口は平気で言うおしゃべり好きの自分勝手なわがまま男の典型でした。
処で、今年の7月23日の前田先生の急逝はヒゲ親父にとっては本当に寝耳に水の思いを禁じえませんでした。まさしく自分自身の片腕をもがれた程の衝撃でした。いちいち数え上げればきりが無い程の前田先生との数々の想い出話しです。また、其の内にヒゲ親父の気持ちが落ち着いて来たらこの日記の中でも紹介したいと思います。
ヒゲ親父に取ってはまさしく全く心の準備が全然出来ていないママの状況での突然の急逝でした。先生が急逝する前には、確かに体調を崩して約58日間にも及ぶ入院生活をしていたのです。何とか体調が回復の兆しを見せ始めていた矢先に先生は退院されて、ご自宅に於いて体力の回復を目指していた矢先の突然の急逝でした。退院後はほぼ毎日お互いに携帯で体調の具合を確認し合っていました。前田先生は私に対して「中尾・俺は毎日血圧を下げる薬や高脂血症の数値を下げる薬、他にも利尿剤やら兎に角、毎日8〜9種類もの薬を飲んでいるのだ。」と言っていました。
そして、毎日携帯で話し合って携帯を切る時に前田先生は、私に対して「中尾


